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五七五

いわゆる俳句や川柳は子供の頃から嫌いです。


それでも、小さい頃はそんなこと考えもせず学校で交通標語を出せ
といわれると、何でだと思いながらも五七五で作っていた気がする。
小学校高学年の時、国語で俳句が出てきて「季語」というものがあり
例えば枯れ草の情景は「冬」だと言われた。
私の生まれ育ったのは北海道なのでそれは「秋」でしかないのである。
それを強制されたことにものすごい反発をもったことを覚えている。


それ以来、某かの標語を考えようという課題が出されると
横に今までの入選作品とかが書かれているので、私は
「五七五じゃなきゃだめですか?」と喰いつき。
そこで今までの疑問や、何かを投げつけ少々の討論をした結果
先生の説明は「絶対だめというわけではないが、慣例的になっているので
そのようにした方がよい。」という結論だった。


その説明は理解できたし、自分の予想通りの回答だった。
「絶対にだめというわけではない」というのがせめてもの救いだった。
私はそれからはしばらく持ち前のへそ曲がりでアンチ五七五を続け、
中学生のときにも一度、何かの時に先生とそれについて議論していた。
結果は初めからわかっていたけどね。
中学生の時にはアンチにするか、慣例でいくかは場合によって使い分けていた。
そうやって人は大人になっていくのかと子供ながらに感じた時でもある。
変なところで食いつくから友達には少し変わった奴ぐらいに思われてたんだろうなあ。
うん。思われてるわ。そうかそうか。今わかった。
この変なところは今まで気づかなかったなあ。まあいいや。


これでいいのだ。


今でも、車で道路を走っていると交通標語の看板を見かける。
日本語の五七五のリズムの良さは当然わかっているが
運転しながら読むと
「長げえよ!脇見運転するなみたいなこと書いておきながら脇見させるなよ!」
とか日々長めのツッコミを入れながら走っている。